ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
未刊詩集『白へのオード』 【3】白へのオード 

『白へのオード』十三篇の散文詩と四つの断章

   

   【3】白へのオード 

 

女にはそれは蝶と見えたのである。

野菜やハムや卵をのせた食器の並ぶ長テーブルの上、陽の下にひろ広げられた色とりどりの洗濯物の間、絨毯や床を走る掃除機の描く見慣れた地図の間、そしてテレビの画面に四角く隈どられてゆく居間の団欒のひと時、それはふいに彼女を襲う、細切れの瞬間である。眼に見えていたものがぼんやりと退いてゆき、あの淡く白い蝶の羽ばたきがゆっくりと過ぎってゆく。日常聞き慣れている音は引き潮のように遠ざかっていって、耳を澄ませば、柔らかに空気を打つ、羽ばたきの震えが微かに響いてゆく。

いつもそうだというのではないのだけれど、ただ気がつけば、彼女の眼差しの届くところ、家の中と言わず、庭と言わず、街を歩いている時にも、それはそこに漂ってある。蝶はまた、ひとひらの、あるいは一重、多重の花であり、白い影、舞い降りてくる雪、風が振り向いた後の、あるかなしかの足跡のようにも見える。そのどれもこれもが白く、舞っているようなので、彼女にとってそれは全て蝶だと言っても、たぶん嘘にはならない。

家族とともに瀬戸内地方の小さな家で暮らし始めた日々の中、彼女がその白きものに気づいたのはいつだったのか。雪国で育った彼女は、冬になれば雪を懐かしみはした。しかし「白」という色への執着を、かつてこれほどまでに強く意識したことはあっただろうか。

一人でいる時に限らず、街中や、誰かといる時にも、その白く舞うものは人々の肩越しにふいに現れては消えてゆく。それが自分にだけ見える幻であるということは彼女には分かっていたし、そのことはたぶんもはや彼女を怖がらせはしなかった。

けれど、側に居るはずの誰かが欠けていて、ひとりであることを想う時、息を吸い込めば胸の辺りが深く絞めつけられる絞めつけられるようだ。その時ふっと感じる。今まで気づかずにいたが、彼女の周りに漂って、彼女の温かさや匂いや息遣い、そして言葉や身じろぎ、それら全てを柔らかく包んでいた空気の膜を。

他者と触れ合う時、どんなに近く強く結ばれてあろうとしても、そう思うほどに、限りなく彼女と誰かを隔ててゆく一つの「隔たり」。いとおしさと寄り難さとが響き合うその空気の膜が、あの白さなのだろうか。それとも生きてる彼女が息を吸い込み放つ時、彼女の周りにある空気にできる裂け目が、白さなのか。雫を落としたさざ波がその周りに波動を起こしてゆくように、息は刻々と開いてゆく花びらであり、それが空気を震わせる時にできる微かな風の道に、花となった息は白い蝶となって舞ってゆくのではないか。

雪のように、彼女の眼差しを通して、時の中に降り積もってゆく白きもの。日常の中につと描かれる斜線――束の間の忘却であり、忘れ難さでもあるもの。見えないはずのその蝶の舞は、彼女の瞳の奥の、想うということの奥、感じるということの奥、幾重もの襞に深く押し込められていた、彼女自身にも抗い難く、触れることのできない、のびやかな心の「浮遊」であったのかもしれない。

 

| 未刊詩集 | 14:29 | - | -