ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
未刊詩集『白へのオード』 【4】白い傷

彼女にとって、告げられぬその思いは、白い傷のようであった。

時が経てばいつかは薄らぎ、癒されてゆくはずのもの。

――その傷が、温かな息と様々な水のめぐる、彼女の心の肌に刻まれたのは、いつの日のことであったか。

胸の奥で疼き、吹き寄せる風のようにも揺れそよいでいるもの。それもいつかは、記憶の幾層もの襞の中で、灰となり、白く降り積もって、消えゆく一点となってゆくだろうことが、彼女にはぼんやりと感じられる。まるで、もはや会うことのない誰かであるかのように。

(夢の中でさえ、わたしたちは出会っただろうか。それはどんな道であり、どの曲がり角だったのか)

乾いた道を通り過ぎる車の中の誰か、街中を行き交う人群れのどれかに、まざまざと彼女は見ている。そこにいないはずの誰かを。

そしてその幻は、光る白い傷となって彼女の眼差しの前にちりばめられてゆく。

(点々と発光し始める 白い光の群れ

 それを人はいとおしさとも なつかしさとも呼ぶのだろうか)

彼女の瞳の奥に焼き付けられたその面影が、今目の前にないということ。そして、こうしていつまでも心寄せずにはいられないということ。

溢れてゆく、その思いを強く感じれば感じるほど、けれど現身の人の姿は、彼女の視野の中で、小さく遠のいてゆくような気がする。というより、その人がもしそこにいたなら、彼女の心はこれほどにも燃え立っただろうか。

凍みるようなその白い光の眩しさのあまり、それが痛みであったことさえ、いつしか忘れてしまっている自分に気づく。しかしそれは、寒さの中で人が寒さに鈍くなってゆくことと、どれだけ違うというのだろうか。

何気ない日常の、見えるもののただ中に、彼女は何ものかの白い巨大な羽ばたきを感じる。

白く光る傷は、あるいはそれに組み込まれまいとする、抗いの跡であるのかもしれない。

 

| 未刊詩集 | 06:15 | - | -