ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
『旅する男の物語』(1)切り立つ岩の上の踊る壁画――タッシリー・ナジュール行

  ――ある夜 H氏が語った。

 

1 切り立つ岩の上の踊る壁画

         ――タッシリー・ナジュール行

 

その旅は一冊の本から始まった

あるいは本の中の数枚の写真で見た

岩壁に描かれた牛や人 海月や樹の絵から

それは 家族や生き物との人々の暮らしであり

よろこびであるとともに

眼に見ないものへのおそれのようでもあった

偶然手にしたそれらの絵にあらがいがたく吸い寄せられるままに

男は巨大な砂漠の深みへと進んでいった

えいえんのような乾いた風と灼熱の時間のあと

うねる大地は朱く染まり

夜ともなれば月と星が眼差しを冷やしていった

そうして サハラ砂漠の真ん中

切り立つ岩の台地の上に

男はようやく辿り着いたのだ

かつて緑豊かであった地面はむき出しとなり

乾いた川底が亀裂のように縦横に走る

奇怪な岩の森に

(そこでは夢の中で目覚めるように時間が過ぎていった

 幾億の星々が降り注ぐ夜の底では

 黒い肌の男が吹く横笛は一本の糸杉のように響き

 風のうねりとともに 岩の肌を這いあがっていった)

男はそうやって

巨大な台地の岩の森を彷徨い

八千年ものあいだ刻まれ続けてきたという

壁画の群れと出会ったのだ

それはレイヨウであり サルやキリンや象たち

そして狩りをし 耕し 戦う人々

踊り 交わって産む人であり

「白い巨人」でもあった

 

この島の

波止場の石段から見つめる海の その向こうに

それらは本当にあったのだろうか

自分は百五歳だと語ったトゥアレグ族の長ジャブランは

いまもまだあの大地を旅しているのだろうか

男はときおり

部屋に無造作に置かれた

木や布でできたかの地の様々な仮面を眺める

男がたどる温かな夢のかけらのような

それら面の一つ一つを手に取り 指でなぞる

そして時間の裂け目から聞こえてくるような

あれらの不思議な響きの言葉を呟いてみる

 

砂漠に切り立つ台地の深い静けさの上では

一匹のカメレオンが身をくねらせている

遠い星空に

湧き出る泉のような線や形たちがみちてゆく

 

 

 

 

 

 

 

| 未刊詩集 | 14:48 | - | trackbacks(0)