ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
アンコール・ワットな日々 【10】猫と鳥が棲む聖域――第三回廊へ

 西塔門から十字回廊に入ると、Mさんが右側に柱に注意を促した。墨書きの落書きであり、薄くなっている部分もあるが、確かに「森本右近太夫」の字は読める。1632年(寛永9年)、仏四体を奉納するために海路渡ってきた人の字だという。1639年の鎖国前には、カンボジアのプノンペンをはじめ、東南アジアの各地に日本人町があったというから、航路は今思う以上に開けていたのだろう。仏教の聖地「祇園精舎」(釈迦が説法を行ったというコーサラ国の首都シュラ―ヴァステー)だと思って、日本人町の人たちが参詣していたのがアンコール・ワットであり、森本右近太夫もまたそんな一人だったのだそうだ。それにしても、もし鎖国をしていなかったなら、日本は今どんな国になっていたのだろうか。その柱の前に立っていたのはほんの一瞬だったが、気分は二世紀ほど前の日本にワープしていた。

 

 四つに仕切られた沐浴場のある十字回廊を過ぎ、仄暗い第二回廊を出ると、第三回廊に囲まれた、五つの塔からなる中央祠堂がそそり立っていた。尖塔にも彫刻が見える。第二回廊の外壁にはデヴァター(女神)たちの浮彫が並んでいる。西参道では猿を見かけたが、ここには猫たちがいる。何匹も棲みついているようで、観光客慣れしている。鳥たちの鋭い鳴き声も聞こえる。塔の先端に巣を作っているという。かつて王族や高官しか入ることができなかったという中央祠堂を囲む第三回廊に行くには、急な階段を昇らなくてはならない。「65度の勾配です」と説明するMさんは下に残り、石段の上に木で補修された階段の手すりを握りながら、二人で上がる。ピラミッド状に縦方向にも展開しているというアンコール・ワット建築を、腿の引きつりで実感する。

 けれど、そろばんの玉のような連子格子越しに眺めた景色は、そんな疲れを一瞬にして忘れさせた。近辺のバケン山の山頂(標高65メートル)に匹敵するという高さの遺跡の、周囲に広がる雨期初めの木々の緑と伽藍の灰色とのコントラスト。壁に浮彫されたデヴァターたちの微笑。触ってはいけないというその彫刻群の、デヴァターの丸い乳房が艶やかに輝いている。七つのナーガの頭を背にした王の座像の顔が凛々しい。

 十字回廊にあったように、中央祠堂にも四つに仕切られた沐浴場があり、前者は地上界の、後者は天空の聖池とされる。雨期が進めば、これらの池も満面の水を湛えるのだろうか。祠堂の中央には仏像が祀られているいたが、建立当時にはヒンドゥー教のヴィシュヌ神の像が安置されていたという。

 早朝で、まだ人もまばらで、Jはようやく自分のペースで写真を撮れているようだ。鳥たちの声が間近に聞こえる。のんびりと回廊を見ていたら、Mさんが上がってきた。私たちが予定よりも遅いので、迎えに来たようだ。昇りにもまして、下りの階段をこわごわと降りる。

 

 

 

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『アンコール・ワットな日々』 【9】

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              photo by J.Kawai

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『アンコール・ワットな日々』 【8】アンコール・ワットの夜明けとストールと 

                     (【7】続き)

 

「アンコール・ワットは十二世紀のヒンドゥー教の寺院で、スーリヤヴァルマン2世が自らの王廟として建てられたものです」歩きながらMさんのガイドに耳を傾ける。スーリヤヴァルマン2世の在位は1113年から1150年ころ。日本で言えば平安時代末期で、神社や

寺院にしろ、当時の日本の建築物は大体木造のイメージだ。アンコール遺跡群のほとんどは石造建築でなかでもアンコール・ワットは東南アジア最大級の石造建築だという・回廊の壁のレリーフや数多くのデヴァター像も有名で、クメール建築の最高傑作だそうだ。参道の欄干の獅子(シンハ)像の後ろ姿がかわいい。蛇神ナーガの表情もこわいというよりユーモラスだ。

 参道を渡り、めぐらされた周壁の西塔門より入る。左右に経堂と聖池があり、その向こうに中央祠堂が見える。立ち位置によって何がどのように見えるのか、ということも考えながら建てられていったのだともいう。世界の中心であり、神々が住む須弥山(しゅみせん)を表しているともいう中央祠堂の尖塔の左肩の方角から、もう少しで日が昇るはずだという。蓮の浮かぶ池には、左右に均整の取れた建物のシルエットが映っている。周りにも同じように日の出を待つ人々がざっと百人ほどいる。どちらかというと、白人系の糸が多い。Tシャツに薄物のカラフルな腰巻を巻き、サンダルを履いて、エスニックなリゾート気分を楽しんでいたり、物思いにふけるように経堂にもたれかかったり、思い思いに時間を過ごしている。Mさんはクリーム色の制服を着たガイド仲間とお喋りをしに行き、娘も歩いて写真を撮りに行った。池の畔で他の人たちと一緒にぼんやりと東の空を眺めていたら、クローマーを頭から首に巻いた、10代後半くらいの、小柄な女の子に声を掛けられた。

「コレ、イリマセンカ?」腰に百枚ほどのスカーフをぶら下げて、片言の日本語で「これ、シルク、一枚10ドル」「十枚で50ドル。安いよ」とにこやかに迫ってくる。

 私はもともとシルクのスカーフには目がない。色や模様の美しさなど見るだけでも楽しいし、ひんやりとして肌に吸い付くような手触りも好きだ。けれど、今回は手持ち150ドルの節約旅行電話、ウエストポーチに入れるのは、一日20ドルと決めている。ルームサービスの人二人と、Mさんや運転手のTさんに渡すチップ代などがその主な用途だ。にもかかわらず、ついつい見せてくれたスカーフを「きれいだね」と言ってしまったのがいけなかった。その後、十数分ほどだろうか。女の子の粘り強い攻勢に、私は悩まされることとなった。売値を下げ、「売れないと、わたし帰れない」と泣き言まで言われて、とうとう「一枚だけなら、3ドルで買う」と言うと「3ドル!!」と絶句していたが、財布の中身を見せたら半ばあきれながら納得したのか、ようやく交渉成立。

 と、そこへ娘が帰ってきた。女の子は「Your Mather?」と聞き、この値切り方はひどいと言わんばかりに、娘に失笑で訴えかけた。けれども、、その後私と並んで撮った写真の中の彼女は、気を取り直したのか、にこやかな笑顔だ。

 そんなわけとした東南アジア的な雑踏のカオスで迷走したような疲れが残った。空に垂れこめる雲の向こうで、いつのまにか日は昇ったらしい。帰ってから写真のデータを見ていたら、娘が撮った写真には、朝焼けの雲の端から昇る黄金の光が、滲むようにではあるけれど確かに写っていた。一人静かに散策していた彼女はそれを見たようだ。私はといえば、肉眼ではまるで見たような気さえしなかったけれども。

 

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『アンコール・ワットな日々』 【7】アンコール・ワットの夜明けとストールと

 朝五時半。携帯の目覚ましで起きる。まだ外も暗い。昨夜はぐっすりと眠れたようだ。アンコール・ワットの夜明けを見て、その後、観光客がまだ混みあわない時間帯に第三回廊をめぐるためだ。朝食はその後で、ということになる。運転手が今日からTさんになる。寡黙だが、にっこりとはにかむように笑う若者だ。

 ホテルや旅館レストランなどが軒を連ねる通りを数ブロック過ぎると、町ははや、田畑に民家が点在する長閑な景色となる。ときおり建設中のホテルやショッピングモールの建設予定地の更地も見かける。

 カンボジアの観光資源である遺跡群を巡るには、4USドルの入場用ホルダーが必要で、「アンコール・エンタープライズ」という大きな建物でその手続きをする。入場証のために撮られた自分の写真が、カバおばさんのようで私は気に入らず、首にぶら下げていたそれを提示する度にうんざりする。Jの写りはそれほど悪くなかったようだ。

 現在のシェムリアップ近郊の遺跡は、もちろんジャングルのただ中にあるのではなく、ホテルからもそれほど遠くないようだ。空港からホテルまでが15分ほど。ホテルからアンコール・ワットまでも距離的にはそれぐらいだろうか。

 遺跡に着くと、空が白んでいる。天気がよければ見えるという薔薇色の朝焼けだが、あいにく雲が空を覆っている。西塔門の表参道の前に立つ。参道の先、左右の壕堀の向こうに、ヤシの木とともに聳え立つ、いかにも「アンコール・ワット」という景色がある。早速、娘のJがその写真を撮ろうとする。写真が好きなJは、一眼レフを持ってきたかったくらいなのだが、今回はコンパクトなLUMIXにしていた。デジタルだがレンズはライカだ。けれど、カメラを構えたJの後ろから、「写真を撮りましょう 」というMさんのソフトな声。そして、彼によって一枚目の私たちの記念写真が、アンコール・ワットをバックに撮られた。

 ガイドとしては、むろんサービスの一環だったのだろう。けれど、シャッターチャンスを逃したJの表情は、空のように曇って見える。というより、そんな記念撮影が幾度も重なるうちに、彼女の表情は時に不機嫌にさえ見えた。今から思えば、写真が趣味なので自分たちのタイミングで撮ります、とでも最初から伝えておけばよかったのかもしれない。

                                       (【7】続く)

          

         

 

 

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『アンコール・ワットな日々』 【6】


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                        photo by J.Kawai

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『アンコール・ワットな日々』【5】シェムリアップへ

 八時半に関西空港に着いて、ベトナムの首都ハノイへと飛び立ったのが十時半。ベトナム航空のフライトアテンダントは、サイドに大胆なスリットの入った民族衣装「アオザイ」をスマートに着こなしていた。日本の南端が太平洋に消え、機内食の時間も終わった。五時間近く雲や海を眺めたり、本を読んだりして過ごす。やがてシナイ半島が見え、メコン川が巨大な蛇のようにうねるデルタ地帯が眼下に広がっていた。飛行機から降りて人の流れのままに入国審査を済ませ、チップ用に20ドルをリエルに両替する。トランジットの待ち時間はショップを見ながら過ごす。ハノイにあるこのノイ・バイ空港は、置いている民芸品などは違っても、ブランド品の店やカフェもあるし、関空と似たようなものだな、と思いつつ長いロビーを歩いてトイレに行けば、トイレもまた日本のそれのように清潔で使いやすい。国際空港というと、どこでも外観も内部も似たような仕様なのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていたら、ソファーに座っていた日に焼けた初老の日本人男性が、その答えをズバリと私たちにくれた。

 実はその人は空港を作っているエンジニアで、このノイ・バイ空港も彼ら日本人の技術によって建設されたのだという。どうりでガラス張りの外観から、現代的で快適なトイレの仕様まで馴染みがあるわけだ。こういった空港をその方たちはいくつか手がけてきたらしい。私たちがこれからアンコール・ワットに行くのだというと、「私も何度かシェムリアップに行きましたよ」と笑顔を返してくれた。そして、これから行くのはインドとパキスタンの国境にある山岳地帯「カシミール」だということだった。団体客か少人数のグループ客が多いロビーの中、珍しく一人旅のようで、いかにも旅慣れたような雰囲気の方だった。何気なく声を掛けさせてもらったのだが、偶然とはいえ、そんなお話も伺えて、これからの旅の楽しみが一層ふくらむような気がした。

 十五時半にハノイを発って、一時間四十分でカンボジアのシェムリアップ空港に着く。腕時計のネジを回して、二時間ほどの時差を正す。着陸前に飛行機が旋回していたのが、アンコール・ワットを始めとした巨大な遺跡群の上だったことは後で知る。カンボジアの面積は日本の九州と四国を合わせたぐらいだという。それにしても山がない。のっぺりとした平原で、飛行機の窓から見た山も丘のようだった。シェムリアップ空港は伝統的な木造建築風の建物で、奄美大島の名瀬空港のようなローカルさを感じた。ロビーには、バスではなく徒歩で十分だ。スコールに濡れた道を歩く私たちを、夕陽が朱に染めていた。

 

 入国審査のエリアにはやはり軍服姿の係員がいた。手荷物検査のゲートを私が潜った時に、ブザーが鳴る。女性係員にチェックされるが、ジーンズに付けていたベルトの金具に反応したらしい。その場で慌ててベルトを外したら、男性の係員に思いっきり笑われてしまった。軍服を着ていても笑う時には笑うんだ、と恥かしいながら妙にほっとする。

 スーツケースも無事受け取り、外に出ると、クリーム色の制服を着たガイドの男性が待っていた。挨拶を交わして、十人乗りくらいの白いバンに乗り込む。「他のツアーの人たちは?」と聞くと、私たちだけだという。つまり、ツアーにもかかわらず、雨期の初めであるこの時期は観光シーズンのピークではないので、私たち二人で個人旅行のようにガイドさんと専用車を独占できるらしい。

 そして、お腹は出ているが、気さくな笑顔のガイドのMさんは流暢な日本語を話した。これなら、うろ覚えのクメール語や英語を使わなくても済みそうだ。Mさんと話しているうちに、窓の外のシェムリアップの町の日は沈んでゆき、国道6号線沿いのホテルに到着した。

 軽食をとって、シャワーを浴びる。もちろん、お湯も出る。六階の窓の外、隣のホテルのヤシの木の影が濃くなり、車とオートバイの喧騒が夕靄のように淀んでいる。「暗くなったら、外に出ないように」という、Mさんのさりげない忠告に素直に従い、眠りにつく。

 

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『アンコール・ワットな日々』【4】

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                                           クメール語の碑文
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                                          photo by J.Kawai

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『アンコール・ワットな日々』【3】一人150ドルの旅

 私たちが選んだのは、四泊五日でアンコール遺跡群をゆっくりとめぐるプランだった。娘のJにとっては、初めての海外旅行ということもあり、旅の安全も考えて、専用ガイドと専用車のついたプライベートツアーでもあった。

 そもそも、太平洋の東端で、ユーラシア大陸の西のはずれにある小さな島国に育った者にとって、「自国を出る」というのは、いくぶん特別な感覚や感情を呼び起こすのではないだろうか。世界遺産の映像や本が溢れ、スマホやパソコン上で瞬時に「世界のいたる所の今」を見聞きできるこんな時代でも、海の外にある「外国」に出ること自体がちょっとした冒険にも思える、と言えば大げさだろうか。日本と国交がなく、ビザの申請が必要な国に、頼りない(?)女性二人で行くということに、家族や周囲も、思いのほか心配だったようだし、ガイドブックのトラブル対策としての注意事項は、そんな不安を裏付けるものでもあった。そこには、カンボジアの治安は「長年の内戦で多数の銃器が氾濫」していて、「強盗や殺人などの凶悪犯罪が多発している」と明記されていたからだ。もちろん、どの国に行っても、そこで守らなければならない最低限の注意事項やマナーはあるだろう。アンコール遺跡は神聖な寺院でもあり、肌の露出を避けた服を着なければならず、また、傘をさしてはいけないといったマナーは理解できる。けれど、よほど旅慣れてでもいない限り、予め防護服を着ていなければ(つまり安全性の高いツアーでなければ)とも思えた。

 そして、熱中症対策のためには塩分チャージの飴や帽子などを用意し、盗難に遭わないためにスマホは持たず、レンタルの携帯電話にした。間違っても「お金持ちの日本人」として犯罪のターゲットにならないように、服や鞄なども普段以上にカジュアルにした。そういった用心が有効であったのか、何の事故もなく、あまり不快なこともなく、旅が無事に終わった今となっては、それらの取り越し苦労も笑いのネタでしかないけれども。

 

 さて、準備万端。まだ真っ暗な朝の三時に起きて、岡山市内にある関西空港行きの高速バスステーションへと向かう車の中でのことだった。予め銀行で両替しておいた100ドルのうちの半分を、娘の分として手渡した。そして、一応確認するつもりで、「ところで、予備にはいくら持ってきているの?」と尋ねた私へのJの答えに、思わず声は上ずっていた。「えっ?三千円!?」

 確かに必要最小限の持ち物、動きやすく地味な服装、お買い物ツアーではなく、遺跡めぐりを楽しもうと、つまり、シンプルな旅をしようとは話していた。ツアーの代金には食事代は全部含まれているし、専用ガイドと専用車つきで移動費も要らず、ジュース代やお土産代の他、確かに現金はあまり必要がない。そんな私の所持金は、両替した100ドルと、予備として一万円。一枚持って行ったクレジットカードも極力使わないつもりだった。といのも、台湾でお茶をカードでたくさん買い、後で請求書を見てびっくりしたことがあったからだ。私自身の所持金も多くはないだろうが、それにしても、海外に四泊五日で三千円は少なすぎる。

 ともあれ、車で送ってくれていた夫から不足分を借りて、娘の予備費も一万円とし、一人150ドルの節約旅行は始まった。

 

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『アンコール・ワットな日々』【2】

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『アンコール・ワットな日々』 【1】始まりのはじまり

 あれから早、一年が経とうとしている。

 というより、年が明けたので、正確には一年半の時間が経過したことになる。

 映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』を観たのはいつのことだろう。1999年に制作され、浅野忠信が報道写真家一ノ瀬泰造を演じた映画を私が観たのは、世紀の変わり目のどの日だっただろうか。1970年頃からの長引く内戦や、ポルポト政権下での多くの犠牲者のニュースの記憶もいまだ生々しいカンボジアの、密林の中にある遺跡ー―アンコール・ワット。そこは、テレビや映画や写真などの映像の向こう側にある、謎と危険に満ちた、日常とはかけ離れた世界のように思われた。

 「アンコール・ワットに行こうと思うんだけれど」という娘のの言葉に、即答で反応したのは、たぶん私の中で眠っていた、そんなひとつの場所への興味のようなものが揺り起こされたためだろう。

 娘が初めての海外旅行を、アンコール・ワットのあるカンボジア王国にした理由ははっきりとは聞いていない。友人とフリープランでヨーロッパに行こうと計画していた矢先、中東やアフリカなどからの難民の移民問題が起こり、テロ事件が頻発するなか、11月にはパリで同時多発テロがあり、何回か行先や時期の変更を考えざるをえなかった。そして、彼女がようやく決めた場所が、東南アジアのインドシナ半島にあるアンコール・ワットだった。けれど、旅慣れた娘の知り合いからすれば、そこは「ヨーロッパやアメリカ大陸などいろいろ旅した後で行く所」でもあったらしい。その意味するところは定かではないが、かつて地雷が埋まって危険だったアンコール遺跡は、1992年に世界遺産に登録されたこともあり、いつか行ってみたい美しい景色の一つになっていたようで、実際に調べてみると旅行プランもいろいろと充実していた。

 その観光ツアーの中の一つに、出発の一カ月前にギリギリのタイミングで予約を入れ、その後、ゴリ押しで仕事の休みをもらった。ビザの電子申請をはじめとして、旅の準備の主な部分は、時間に余裕のあったがしてくれた。さらには、図書館や書店でガイドブックや遺跡関連の本を漁って、私の乏しい知識を補ってくれた。必要であろう旅の買い物もどうにか済んで、あっという間に、出発の当日はやってきた。

 私としても、その前の年に夫と台湾に行ったのが、初めての海外旅行だったので、案内役としては役に立ちそうにもない。英語もカンボジアのクメール語も、ほぼチンプンカンプン。安全面を重視してそのツアーを選んだとはいえ、いろいろな不安を抱えつつ、けれど、娘の手前は平静を装って、2016年6月、出発の朝は来た。

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