ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
『アンコール・ワットな日々』【17】

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                                   photo by J,Kawai

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【16】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ 

 仄暗い第二回廊に、そろばんの玉を連ねたような連子窓から、明るく陽が射し込んでいる。華美な装飾はなく、所々に頭部を失われた神々の座像や立像などがある。けれど、その内部を過ぎてから眺めればこそ、第二回廊の外壁のデヴァターたちの華やかさも際立つのだろう。

 伽藍に住む舞姫たちをモデルにしたとも言われるその女神像の浮彫は、顔立ちもポーズも様々で、いくら見ても見飽きない。どの女神も腰巻を巻いているくらいの衣装で、すらりとした肢体に椀のように丸い乳房というのは同じだが、髪型や髪飾り、装飾品や表情や手指や足のポーズなど様々だ。なかには彫りが途中で、その制作過程を見て取れるものもある。また、後年修復されたレリーフの部分は、薄い灰色なので見た目にもすぐわかる。

 ところで、この時、娘のJは白黒モードでも写真を撮っていた。帰国してからそれらを見て改めて思ったことだが、モノクロの画像というのは不思議だ。第二回廊の外壁自体が灰色ではあったのだが、白と黒の間に広がる、数え切れないグレーのヴァリエーションがそこにはある。それは色彩の奥の形であり、瞬間の奥の時間の流れのようなもの。

 モノクロに映し出されたそれらの尖塔やデヴァター、私を含めた観光客たち、高い塔の巣に帰る鳥やその向こうの雲と空。そういった全てから、そこにあることの不思議さがにじみ出ているように感じてしまうのは、色彩を消してシャッターを切るということが、見るという行為を無化してしまうからだろうか。

 私たちはそこにかつてあったものをたぐり寄せるようにして、それらの写真を見る。そして既に、私たちよりもはるかに長く、過去の時間の中で物としての時間を過ごしてきた、それら石でできた遺跡たちは、モノクロに彩られた世界の中で、その存在感をより一層増してゆくようにも思えるのである。

 

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『アンコール・ワットな日々』 【15】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ

 中央祠堂を囲む三つの回廊の始まりである第一回廊は、時計回りの逆にめぐってゆく。神話などをモチーフにしたレリーフの彫りは浅いが、長い回廊の壁一面に、人や生き物の動きをリアルに再現するような繊細な線でびっしりと描かれている。かつては金箔を漆で留めて彩色されていたそうで、所々に微かにその名残が見える。制作年代は西面から東面の南半分までが12世紀半ばで、東面の北半分と北面は16世紀半ばだという。

 西面南側は古代インド叙事詩『マハーバーラタ』から「カラウヴァ族とバーンタヴァ族の戦い」。西面北側にはヒンドゥー教の聖典『ラーマーヤナ』の「ランカー島の戦い」が51メートルにわたって描かれている。サルの王「ハヌマーン」の姿も見える。南面西側は「スーリヤヴァルマン2世と行進する軍隊」、南面東側は「天国と地獄の図」。東面南側にはヒンドゥー教の天地創造の神話である「乳海撹拌」が描かれている。左に阿修羅たち、右に神々が蛇神ナーガを曳き合う様は、壁の長さを存分に生かして迫力がある。綱引きの中心で指揮をとっているのがヴィシュヌ神で、綱引きの上空では水の妖精である天女アプサラたちがしなやかに舞っている。綱引きの足元にはかき回された海の生き物たちが描かれている。

 実を言うと、こんなふうにそれらの壁画を味わったように書いているのも、四日目に再々度アンコール・ワットに行けたからで、その時の印象もここには混ざっている。Mさんの説明を聞きながら、どちらかと言うと歩くスピードでそれらを見て回っていたので、かすめ見ていた、よく言えば、物語や戦が進行するように眺めていたともいえる。それでもMさんは私たちのスローな歩調に合わせてくれていたし、このツアーがもしピーク時だったら、とてもそんなわがままは言っていられないはずである。四日目の午後に、三度目にJと二人で来た時には、第一回廊の全長760メートルにおよぶ東西南北四面のレリーフを、ゆっくりと見て、写真を撮ることができた。Mさんと一緒の時にはショートカットしたエリアも回った。東面北側には「ヴィシュヌ神の悪魔の戦争の図」、北面東側は「クリシュナの図」、北面西側は「神対アシュラの図」。16世紀半ばにアンコール・ワットを再発見したカンチャン1世が指示して完成させたというそれらの彫りは、たしかにいくぶん粗く、印象も薄いのかもしれない。シーズンによるのか、時間帯によるのか、その時の北面エリアは、観光客もほとんど見当たらず、まるで時間が停まっているように静かだった。経蔵の前の草の中を、黄色い袈裟を着た二人の僧侶が横切っていった。       

                              (【16】に続く)

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『アンコールワットな日々』【14】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ

 昼食後、再びアンコール・ワットへ。早朝には第三回廊に行くためにショートカットしたが、今度はゆっくりと第一回廊などを見る。西塔門の南側に立派なヴィシュヌ神の立像があった。花や蝋燭が立てられ、賽銭箱のようなものがあり、線香立てもある。こういった所では日本では手を合わせるのが習わしである。正月には参拝客で賑わうというこの寺院で崇められているだろうこの像の前で、靴を脱いで座り、手を合わせた。敬虔な気持ちだったが、写真に残っているその時の私たちの様子は、帰ってから見るとかなり気恥ずかしい。

 Mさんの指差す先を見ると、十字回廊に入る大塔門の柱に弾痕が残っていた。1970年頃から1993年に及ぶカンボジアの内戦時、政権を追われたクメール・ルージュ軍は1979年からアンコール・ワットを拠点とした。その時彼らによって仏像なども破壊されたという。ベトナムやカンボジアなどインドシナ半島で続いた戦禍のニュースは、かつて遠い国の出来事のように思えた。けれども、修復されつつあるとはいえ、こういった弾痕や頭部を失った仏像を目にすると、それらについて、もっと知らなければならないのではないか、と感じる。世界遺産の景色や建築の美しい表面の裏側、いやそういった過去の上にある、今目の前にあるものの意味。ショートステイの旅で消化するには、あまりに重く長い時間がそこにはあるだろう。カンボジアについて暗いイメージを持ってしまうのも、その内戦時の飢餓と虐殺によって、70万から200万人以上とも言われる人々が命を落としたからだ。けれども、それは歴史の中で繰り返されてきた過ち、いつどこの国でも同じように起こってもおかしくはない惨事、なのではないだろうか。ある一つの理想、もしくは強大な帝国を実現させるために、そこに生きている人々が踏みにじられていったならば。

 アンコール・ワットについて書くときには、やはりクメール・ルージュは避けて通れない。けれども、あまりに複雑な現代史を理解するには、それなりの時間が必要だろう。静かにたたずむ遺跡のただ中にも、ぽっかりと口を開けて流れている、かつての時間の重みと深さに慄いた、とだけ、今は記しておこう。

 

                               (【15】に続く)

 

         

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『アンコール・ワットな日々』 【13】

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                           photo by J.Kawai

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『アンコール・ワットな日々』 【12】薔薇色の砦――パンテアイ・スレイへ

 ホテルに帰って、朝食を摂り、軽く休んでから、国道を走ってパンテアイ・スレイへ行く。

 カンボジアは5月から10月が雨季で、11月から4月は乾季であり、年間の平均気温が27度。観光客は乾季が多いそうだ。朝と比べると日中はやはり陽射しが強い。けれど、雨季のピークではなく、蒸し暑くはないので、観光するにもどうにかしのげそうだ。

 アンコール・ワットから20数km離れたプノン・クレーンの麓の森の中にあるこの寺院は、10世紀後半、主に赤色砂岩と紅土で造られているといい、全体に赤っぽい。ガイドブックなどで薔薇色と称されているのも頷ける。ジャヤヴァルマン5世が建立し、直訳すると「女の砦」だそうだ。バラモン僧ヤジュニャヴァラ―ハが建設の指揮をしたというこの小さな寺院を有名にしているのは、壁面を埋め尽くすような細かくて深めの浮彫であり「東洋のモナリザ」と呼ばれる女神像であるという。

 東塔門まではリンガ(男根)を表す石柱が並んでいる。北経蔵の破風やまぐさ(リンテル)や南経蔵の切妻壁などに、描かれた彫刻のモチーフはクメール神話からで、神々や動物や人、唐草模様などが描かれている。中央神殿にはラーマーヤナ物語の守護神ドバラ場バーラの男性像もある。「東洋のモナリザ」は中央神殿の祠にひっそりと立っていて、「ここですよ」と案内されなければ、見過ごしていたかもしれない。ロープが張られていて近づくことはできなかったが、、思ったよりも小ぶりだったせいか、穏やかな表情はつつましく、心持ち左に傾げた顔は少女のようだ。1923年、フランスの小説家アンドレ・マルローは、その美しさに魅了されて盗掘事件を起こし、その時のことを1930年に『王道』という小説に書いた。後年ドゴール政権下では、過去の過ちはさておき、文化相を長く務めたという。

 ガジュマルの林の中を歩いていると、Mさんがこんもりとした砂の盛り上がりを指差した。蟻塚だという。今まで見たこともないくらいに大きい。

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『アンコール・ワットな日々』 【11】

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                 photo by J.Kawai

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アンコール・ワットな日々 【10】猫と鳥が棲む聖域――第三回廊へ

 西塔門から十字回廊に入ると、Mさんが右側に柱に注意を促した。墨書きの落書きであり、薄くなっている部分もあるが、確かに「森本右近太夫」の字は読める。1632年(寛永9年)、仏四体を奉納するために海路渡ってきた人の字だという。1639年の鎖国前には、カンボジアのプノンペンをはじめ、東南アジアの各地に日本人町があったというから、航路は今思う以上に開けていたのだろう。仏教の聖地「祇園精舎」(釈迦が説法を行ったというコーサラ国の首都シュラ―ヴァステー)だと思って、日本人町の人たちが参詣していたのがアンコール・ワットであり、森本右近太夫もまたそんな一人だったのだそうだ。それにしても、もし鎖国をしていなかったなら、日本は今どんな国になっていたのだろうか。その柱の前に立っていたのはほんの一瞬だったが、気分は二世紀ほど前の日本にワープしていた。

 

 四つに仕切られた沐浴場のある十字回廊を過ぎ、仄暗い第二回廊を出ると、第三回廊に囲まれた、五つの塔からなる中央祠堂がそそり立っていた。尖塔にも彫刻が見える。第二回廊の外壁にはデヴァター(女神)たちの浮彫が並んでいる。西参道では猿を見かけたが、ここには猫たちがいる。何匹も棲みついているようで、観光客慣れしている。鳥たちの鋭い鳴き声も聞こえる。塔の先端に巣を作っているという。かつて王族や高官しか入ることができなかったという中央祠堂を囲む第三回廊に行くには、急な階段を昇らなくてはならない。「65度の勾配です」と説明するMさんは下に残り、石段の上に木で補修された階段の手すりを握りながら、二人で上がる。ピラミッド状に縦方向にも展開しているというアンコール・ワット建築を、腿の引きつりで実感する。

 けれど、そろばんの玉のような連子格子越しに眺めた景色は、そんな疲れを一瞬にして忘れさせた。近辺のバケン山の山頂(標高65メートル)に匹敵するという高さの遺跡の、周囲に広がる雨期初めの木々の緑と伽藍の灰色とのコントラスト。壁に浮彫されたデヴァターたちの微笑。触ってはいけないというその彫刻群の、デヴァターの丸い乳房が艶やかに輝いている。七つのナーガの頭を背にした王の座像の顔が凛々しい。

 十字回廊にあったように、中央祠堂にも四つに仕切られた沐浴場があり、前者は地上界の、後者は天空の聖池とされる。雨期が進めば、これらの池も満面の水を湛えるのだろうか。祠堂の中央には仏像が祀られているいたが、建立当時にはヒンドゥー教のヴィシュヌ神の像が安置されていたという。

 早朝で、まだ人もまばらで、Jはようやく自分のペースで写真を撮れているようだ。鳥たちの声が間近に聞こえる。のんびりと回廊を見ていたら、Mさんが上がってきた。私たちが予定よりも遅いので、迎えに来たようだ。昇りにもまして、下りの階段をこわごわと降りる。

 

 

 

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『アンコール・ワットな日々』 【9】

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『アンコール・ワットな日々』 【8】アンコール・ワットの夜明けとストールと 

                     (【7】続き)

 

「アンコール・ワットは十二世紀のヒンドゥー教の寺院で、スーリヤヴァルマン2世が自らの王廟として建てられたものです」歩きながらMさんのガイドに耳を傾ける。スーリヤヴァルマン2世の在位は1113年から1150年ころ。日本で言えば平安時代末期で、神社や

寺院にしろ、当時の日本の建築物は大体木造のイメージだ。アンコール遺跡群のほとんどは石造建築でなかでもアンコール・ワットは東南アジア最大級の石造建築だという・回廊の壁のレリーフや数多くのデヴァター像も有名で、クメール建築の最高傑作だそうだ。参道の欄干の獅子(シンハ)像の後ろ姿がかわいい。蛇神ナーガの表情もこわいというよりユーモラスだ。

 参道を渡り、めぐらされた周壁の西塔門より入る。左右に経堂と聖池があり、その向こうに中央祠堂が見える。立ち位置によって何がどのように見えるのか、ということも考えながら建てられていったのだともいう。世界の中心であり、神々が住む須弥山(しゅみせん)を表しているともいう中央祠堂の尖塔の左肩の方角から、もう少しで日が昇るはずだという。蓮の浮かぶ池には、左右に均整の取れた建物のシルエットが映っている。周りにも同じように日の出を待つ人々がざっと百人ほどいる。どちらかというと、白人系の糸が多い。Tシャツに薄物のカラフルな腰巻を巻き、サンダルを履いて、エスニックなリゾート気分を楽しんでいたり、物思いにふけるように経堂にもたれかかったり、思い思いに時間を過ごしている。Mさんはクリーム色の制服を着たガイド仲間とお喋りをしに行き、娘も歩いて写真を撮りに行った。池の畔で他の人たちと一緒にぼんやりと東の空を眺めていたら、クローマーを頭から首に巻いた、10代後半くらいの、小柄な女の子に声を掛けられた。

「コレ、イリマセンカ?」腰に百枚ほどのスカーフをぶら下げて、片言の日本語で「これ、シルク、一枚10ドル」「十枚で50ドル。安いよ」とにこやかに迫ってくる。

 私はもともとシルクのスカーフには目がない。色や模様の美しさなど見るだけでも楽しいし、ひんやりとして肌に吸い付くような手触りも好きだ。けれど、今回は手持ち150ドルの節約旅行電話、ウエストポーチに入れるのは、一日20ドルと決めている。ルームサービスの人二人と、Mさんや運転手のTさんに渡すチップ代などがその主な用途だ。にもかかわらず、ついつい見せてくれたスカーフを「きれいだね」と言ってしまったのがいけなかった。その後、十数分ほどだろうか。女の子の粘り強い攻勢に、私は悩まされることとなった。売値を下げ、「売れないと、わたし帰れない」と泣き言まで言われて、とうとう「一枚だけなら、3ドルで買う」と言うと「3ドル!!」と絶句していたが、財布の中身を見せたら半ばあきれながら納得したのか、ようやく交渉成立。

 と、そこへ娘が帰ってきた。女の子は「Your Mather?」と聞き、この値切り方はひどいと言わんばかりに、娘に失笑で訴えかけた。けれども、、その後私と並んで撮った写真の中の彼女は、気を取り直したのか、にこやかな笑顔だ。

 そんなわけとした東南アジア的な雑踏のカオスで迷走したような疲れが残った。空に垂れこめる雲の向こうで、いつのまにか日は昇ったらしい。帰ってから写真のデータを見ていたら、娘が撮った写真には、朝焼けの雲の端から昇る黄金の光が、滲むようにではあるけれど確かに写っていた。一人静かに散策していた彼女はそれを見たようだ。私はといえば、肉眼ではまるで見たような気さえしなかったけれども。

 

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