ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
観れなかった映画  

雨が降りそうで降らない日だった

空気の中に

初夏の暑気と湿度が濃縮されて

こんなとき

土の下では夏野菜の根たちがきりきりと成長し

茎はあおあおと空をめざし

睡っていた蕾は首をもたげて

実りの時をうけいれるのだろう

(いつものことだが)

わたしは走っていたのだ

自転車をこぎ

駅の階段を昇っては下り

改札口から市電乗り場へ

硝子のドアからもうひとつのドアへと

(ともかく走って)

一分刻みで滑り込む

たいていはうまくいくのだが

その日のドアは けれど違っていた

「時間切れです」

と目の前で固く閉ざされて

(観れなかった映画は

 一人のスペインの詩人の

 いくつもの死を描いたものだった)

 

雨が降るのかと思えば

雲はぐんぐんと空に吸い込まれていって

どこまでも晴れてゆくような午後だった

閉ざされた詩人の口から

永遠に語り出されることのなかった言葉の列のように

街路樹の深緑は

あおあおと揺れそよいだ

アスファルトの下では

彼の死に恋い焦がれるように

植物たちが きりきりと細く太い根をはびこらせた

 

 

 

 

| 既刊詩集『スクラップ―に捧ぐ』 | 20:37 | - | -