ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
丘と海と 虹と

母と子は

丘の中腹から

海のように広がっている夕暮れの町を見るの日課だった

じっさい

瀬戸内に浮かぶ島と島のあいだ

海であったところを長い干拓で陸にしたのであれば

かつて小島であっただろうその丘の裾から広がる

その町が海のように見えることは

いわれのないことではなかったのだ

そう思えば

町のざわめきは海のどよめきになり

人の営みは魚や貝たちの身じろぎとなり

日々の気忙しさが引き潮のように遠のいてゆくようであり

散歩の時間は季節によってまちまちだったが

日によっては夕暮れ時より遅くなることもあり

そんな時は

明かりを灯し 微かに瞬いてゆく町のありようは

とうめいな水底から星空をきらめかせる

夜の海のようにも見えたものだ

その日

いつものように丘を上り 丘を下ってゆくときに

虹が見えた

にわか雨の後の空に架けられた七色のアーチ

けれどそれは一つではなく

その向こうには

もう一つの半円がくっきりと浮かんでいた

 

丘の向こうの海の上を ふたつの虹が渡っていった日

父親はいつものように一日の勤めを終えて

ビールを片手に疲れた顔をほころばせていた

宿題をすませた子どもたちはテレビの前で川の字に寝そべり

食器を片付けながら 母親は明日の朝食のことを考えていた

町の喧騒はしだいに静まってゆき

灯りの奥の闇も

海のような深さを取り戻していって

その水底で

かつてこの星がたゆたっていた夢を

夢見ているのかもしれなかった

 

 

 

 

| 既刊詩集『スクラップ―に捧ぐ』 | 10:57 | - | trackbacks(0)