ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

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『アンコール・ワットな日々』 【8】アンコール・ワットの夜明けとストールと 

                     (【7】続き)

 

「アンコール・ワットは十二世紀のヒンドゥー教の寺院で、スーリヤヴァルマン2世が自らの王廟として建てられたものです」歩きながらMさんのガイドに耳を傾ける。スーリヤヴァルマン2世の在位は1113年から1150年ころ。日本で言えば平安時代末期で、神社や

寺院にしろ、当時の日本の建築物は大体木造のイメージだ。アンコール遺跡群のほとんどは石造建築でなかでもアンコール・ワットは東南アジア最大級の石造建築だという・回廊の壁のレリーフや数多くのデヴァター像も有名で、クメール建築の最高傑作だそうだ。参道の欄干の獅子(シンハ)像の後ろ姿がかわいい。蛇神ナーガの表情もこわいというよりユーモラスだ。

 参道を渡り、めぐらされた周壁の西塔門より入る。左右に経堂と聖池があり、その向こうに中央祠堂が見える。立ち位置によって何がどのように見えるのか、ということも考えながら建てられていったのだともいう。世界の中心であり、神々が住む須弥山(しゅみせん)を表しているともいう中央祠堂の尖塔の左肩の方角から、もう少しで日が昇るはずだという。蓮の浮かぶ池には、左右に均整の取れた建物のシルエットが映っている。周りにも同じように日の出を待つ人々がざっと百人ほどいる。どちらかというと、白人系の糸が多い。Tシャツに薄物のカラフルな腰巻を巻き、サンダルを履いて、エスニックなリゾート気分を楽しんでいたり、物思いにふけるように経堂にもたれかかったり、思い思いに時間を過ごしている。Mさんはクリーム色の制服を着たガイド仲間とお喋りをしに行き、娘も歩いて写真を撮りに行った。池の畔で他の人たちと一緒にぼんやりと東の空を眺めていたら、クローマーを頭から首に巻いた、10代後半くらいの、小柄な女の子に声を掛けられた。

「コレ、イリマセンカ?」腰に百枚ほどのスカーフをぶら下げて、片言の日本語で「これ、シルク、一枚10ドル」「十枚で50ドル。安いよ」とにこやかに迫ってくる。

 私はもともとシルクのスカーフには目がない。色や模様の美しさなど見るだけでも楽しいし、ひんやりとして肌に吸い付くような手触りも好きだ。けれど、今回は手持ち150ドルの節約旅行電話、ウエストポーチに入れるのは、一日20ドルと決めている。ルームサービスの人二人と、Mさんや運転手のTさんに渡すチップ代などがその主な用途だ。にもかかわらず、ついつい見せてくれたスカーフを「きれいだね」と言ってしまったのがいけなかった。その後、十数分ほどだろうか。女の子の粘り強い攻勢に、私は悩まされることとなった。売値を下げ、「売れないと、わたし帰れない」と泣き言まで言われて、とうとう「一枚だけなら、3ドルで買う」と言うと「3ドル!!」と絶句していたが、財布の中身を見せたら半ばあきれながら納得したのか、ようやく交渉成立。

 と、そこへ娘が帰ってきた。女の子は「Your Mather?」と聞き、この値切り方はひどいと言わんばかりに、娘に失笑で訴えかけた。けれども、、その後私と並んで撮った写真の中の彼女は、気を取り直したのか、にこやかな笑顔だ。

 そんなわけとした東南アジア的な雑踏のカオスで迷走したような疲れが残った。空に垂れこめる雲の向こうで、いつのまにか日は昇ったらしい。帰ってから写真のデータを見ていたら、娘が撮った写真には、朝焼けの雲の端から昇る黄金の光が、滲むようにではあるけれど確かに写っていた。一人静かに散策していた彼女はそれを見たようだ。私はといえば、肉眼ではまるで見たような気さえしなかったけれども。

 

| エッセイ | 14:27 | - | trackbacks(0)
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