ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

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『アンコールワットな日々』【14】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ

 昼食後、再びアンコール・ワットへ。早朝には第三回廊に行くためにショートカットしたが、今度はゆっくりと第一回廊などを見る。西塔門の南側に立派なヴィシュヌ神の立像があった。花や蝋燭が立てられ、賽銭箱のようなものがあり、線香立てもある。こういった所では日本では手を合わせるのが習わしである。正月には参拝客で賑わうというこの寺院で崇められているだろうこの像の前で、靴を脱いで座り、手を合わせた。敬虔な気持ちだったが、写真に残っているその時の私たちの様子は、帰ってから見るとかなり気恥ずかしい。

 Mさんの指差す先を見ると、十字回廊に入る大塔門の柱に弾痕が残っていた。1970年頃から1993年に及ぶカンボジアの内戦時、政権を追われたクメール・ルージュ軍は1979年からアンコール・ワットを拠点とした。その時彼らによって仏像なども破壊されたという。ベトナムやカンボジアなどインドシナ半島で続いた戦禍のニュースは、かつて遠い国の出来事のように思えた。けれども、修復されつつあるとはいえ、こういった弾痕や頭部を失った仏像を目にすると、それらについて、もっと知らなければならないのではないか、と感じる。世界遺産の景色や建築の美しい表面の裏側、いやそういった過去の上にある、今目の前にあるものの意味。ショートステイの旅で消化するには、あまりに重く長い時間がそこにはあるだろう。カンボジアについて暗いイメージを持ってしまうのも、その内戦時の飢餓と虐殺によって、70万から200万人以上とも言われる人々が命を落としたからだ。けれども、それは歴史の中で繰り返されてきた過ち、いつどこの国でも同じように起こってもおかしくはない惨事、なのではないだろうか。ある一つの理想、もしくは強大な帝国を実現させるために、そこに生きている人々が踏みにじられていったならば。

 アンコール・ワットについて書くときには、やはりクメール・ルージュは避けて通れない。けれども、あまりに複雑な現代史を理解するには、それなりの時間が必要だろう。静かにたたずむ遺跡のただ中にも、ぽっかりと口を開けて流れている、かつての時間の重みと深さに慄いた、とだけ、今は記しておこう。

 

                               (【15】に続く)

 

         

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