ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

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『アンコール・ワットな日々』 【15】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ

 中央祠堂を囲む三つの回廊の始まりである第一回廊は、時計回りの逆にめぐってゆく。神話などをモチーフにしたレリーフの彫りは浅いが、長い回廊の壁一面に、人や生き物の動きをリアルに再現するような繊細な線でびっしりと描かれている。かつては金箔を漆で留めて彩色されていたそうで、所々に微かにその名残が見える。制作年代は西面から東面の南半分までが12世紀半ばで、東面の北半分と北面は16世紀半ばだという。

 西面南側は古代インド叙事詩『マハーバーラタ』から「カラウヴァ族とバーンタヴァ族の戦い」。西面北側にはヒンドゥー教の聖典『ラーマーヤナ』の「ランカー島の戦い」が51メートルにわたって描かれている。サルの王「ハヌマーン」の姿も見える。南面西側は「スーリヤヴァルマン2世と行進する軍隊」、南面東側は「天国と地獄の図」。東面南側にはヒンドゥー教の天地創造の神話である「乳海撹拌」が描かれている。左に阿修羅たち、右に神々が蛇神ナーガを曳き合う様は、壁の長さを存分に生かして迫力がある。綱引きの中心で指揮をとっているのがヴィシュヌ神で、綱引きの上空では水の妖精である天女アプサラたちがしなやかに舞っている。綱引きの足元にはかき回された海の生き物たちが描かれている。

 実を言うと、こんなふうにそれらの壁画を味わったように書いているのも、四日目に再々度アンコール・ワットに行けたからで、その時の印象もここには混ざっている。Mさんの説明を聞きながら、どちらかと言うと歩くスピードでそれらを見て回っていたので、かすめ見ていた、よく言えば、物語や戦が進行するように眺めていたともいえる。それでもMさんは私たちのスローな歩調に合わせてくれていたし、このツアーがもしピーク時だったら、とてもそんなわがままは言っていられないはずである。四日目の午後に、三度目にJと二人で来た時には、第一回廊の全長760メートルにおよぶ東西南北四面のレリーフを、ゆっくりと見て、写真を撮ることができた。Mさんと一緒の時にはショートカットしたエリアも回った。東面北側には「ヴィシュヌ神の悪魔の戦争の図」、北面東側は「クリシュナの図」、北面西側は「神対アシュラの図」。16世紀半ばにアンコール・ワットを再発見したカンチャン1世が指示して完成させたというそれらの彫りは、たしかにいくぶん粗く、印象も薄いのかもしれない。シーズンによるのか、時間帯によるのか、その時の北面エリアは、観光客もほとんど見当たらず、まるで時間が停まっているように静かだった。経蔵の前の草の中を、黄色い袈裟を着た二人の僧侶が横切っていった。       

                              (【16】に続く)

| エッセイ | 16:09 | - | trackbacks(0)
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