ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

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『旅する男の物語』 【4】〈そのようなもの〉として

小型のセスナ機は幾度か旋回し 夕日の中 砂漠(パンパ)に刻まれた光景を浮かび上がらせる 束ねられては広がってゆく線や台形や渦巻きの幾何学模様 巨大なサルや蜘蛛やハチドリや人のようなもの――ナスカ・ライン 古代の謎は 謎として 今なお 人々を惹きつけてやまない 砂漠に描かれたそんな地上絵も 旅する男にとっては 通り過ぎてゆく時間に出会った いくつもの顔の中の一つでしかないのかもしれない

 

光と闇

輝かしいものと凍りつくようなもの

愚かしさと崇高さ

心躍るようなものと 耳を覆いたくなるようなもの

熱帯の密林とそそり立つ白い峰々を持つこの大陸の

大聖堂のステンドグラスと地下室に据えられたギロチン

マヤの精緻な文字盤やインカの黄金の首飾りと

セノーテの淀んだ水や砲弾の雨

それら相反するようなすべてが

男には同時に 同じものとして見えたのだろうか

渡る蝶や鳥の群れのように

絶え間なく人々の浪が漂う この星の上で

世界を見るということは

〈そのようなこと〉なのだろうか

女は思い出す

かつて幻影の蜘蛛の糸に絡めとられて

山の中を何年も彷徨っていたある男の話を

いま目の前で語る初老の男と

画面の向こうで妻や娘と連れ立つ紳士風の男

そしてアンデスの奥に消えた若者

かれらが仮に同じ人間であるとして

すべては泡のように現れては消えてゆく幻に近しいもの

ひとつの顔の奥にいくつもの顔を持つ

あのアフリカの仮面のような

変転するカオスなのではないか

この星のいたる所に足跡を残した男にとって

滑らかな薄い膜で覆われたこの星に生きるということは

剥き出しにされたさまざまな芳香と味わいの前に

開かれてある ということなのではないだろうか

旅する男の言葉からは

そんな〈世界〉が無花果の実のように溢れ出している

というより

小柄な男の体を通して

海の向こうの山々や空や町が語り出しているのだ

とさえ女には思える

脈打つ肉体の 脳髄という半円の中で

この星の時間が 螺旋階段となってめぐってゆく

海と陸と地下の地層の中を

地図の無数の線と点は 迷路となって入り乱れる

見開かれた男の瞳の奥に女は見る

灰色の 海馬の水面に

記憶の粒子の数え切れない水脈が流れ込んでは

地表の皴のような漣を立てていった その跡を

 

暮れてゆくパンパの薄闇では

風の気配だけがあおくうごめいている

 

| 未刊詩集 | 11:53 | - | trackbacks(0)
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