ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森
<< 『旅する男の物語』 【4】〈そのようなもの〉として | main | 『アンコール・ワットな日々』【17】 >>
【16】弾痕とレリーフの叙事詩――再びアンコール・ワットへ 

 仄暗い第二回廊に、そろばんの玉を連ねたような連子窓から、明るく陽が射し込んでいる。華美な装飾はなく、所々に頭部を失われた神々の座像や立像などがある。けれど、その内部を過ぎてから眺めればこそ、第二回廊の外壁のデヴァターたちの華やかさも際立つのだろう。

 伽藍に住む舞姫たちをモデルにしたとも言われるその女神像の浮彫は、顔立ちもポーズも様々で、いくら見ても見飽きない。どの女神も腰巻を巻いているくらいの衣装で、すらりとした肢体に椀のように丸い乳房というのは同じだが、髪型や髪飾り、装飾品や表情や手指や足のポーズなど様々だ。なかには彫りが途中で、その制作過程を見て取れるものもある。また、後年修復されたレリーフの部分は、薄い灰色なので見た目にもすぐわかる。

 ところで、この時、娘のJは白黒モードでも写真を撮っていた。帰国してからそれらを見て改めて思ったことだが、モノクロの画像というのは不思議だ。第二回廊の外壁自体が灰色ではあったのだが、白と黒の間に広がる、数え切れないグレーのヴァリエーションがそこにはある。それは色彩の奥の形であり、瞬間の奥の時間の流れのようなもの。

 モノクロに映し出されたそれらの尖塔やデヴァター、私を含めた観光客たち、高い塔の巣に帰る鳥やその向こうの雲と空。そういった全てから、そこにあることの不思議さがにじみ出ているように感じてしまうのは、色彩を消してシャッターを切るということが、見るという行為を無化してしまうからだろうか。

 私たちはそこにかつてあったものをたぐり寄せるようにして、それらの写真を見る。そして既に、私たちよりもはるかに長く、過去の時間の中で物としての時間を過ごしてきた、それら石でできた遺跡たちは、モノクロに彩られた世界の中で、その存在感をより一層増してゆくようにも思えるのである。

 

| エッセイ | 11:47 | - | trackbacks(0)
この記事のトラックバックURL
http://kioku-blog.jugem.jp/trackback/208
トラックバック