ニライカナイ 〜川井豊子の詩の記憶の森

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『アンコール・ワットな日々』【27】象と蝶と四面仏――アンコール・トムへ◆

 象から降りて正面よりバイヨン寺院の中へ入る。第一回廊の周りのレリーフはきれいに彫りが残されているが、モチーフが少しユニークである。乳海撹拌やガルーダに跨るヴィシュヌ神などの神話伝説や、戦闘や凱旋の絵に混ざって、そこでは当時の人々の生活も垣間見るおとができる。商売や狩りをする人々、闘鶏をする場面や、出産をする様子、チェスのような遊びに興じる人々などの日常生活が、分かり易く描かれている。当時生きていた人々の生活が、王や神にまつわるモチーフと同列に並べられているような印象を受ける。当時、王の寺院にレリーフを彫ることは、功徳として推奨されていたことであったが、そこにはまた当時の人々の心のあり様も透けて見えてくるようである。

 観光客でひしめくバイヨンの回廊を、レリーフを見ながらめぐっつていくと、上部テラスへ出る。そこには、塔の四面に顔の彫られた観音菩薩像がある。全部で49基の塔、173(かつては196)体の、様々な表情をした菩薩たちの顔だ。Mさんが指差したその中の一体の、肉厚の唇に湛えられたクメールの微笑み。瞳は閉じられておらず、伏し目がちだ。そのせいなのか、それらの塔を前にすると「眼差し」のようなものを感じてしまう。それほどにその穏やかな顔には慈愛以上の何か、現世のエネルギッシュさに溢れているような印象を受ける。それはまた、チャンバ軍を破ったジャヤヴァルマン7世によって治められた、時代のエネルギーでもあっただろうか。大乗仏教に帰依した7世の宇宙観を反映させるかのように、それらの顔が放つ眼差しは周囲の民の暮らしの上にあまねく注がれたことだろう。アンコール・ワットが地上に築かれた天界であったとするならば、アンコール・トムの眼差しが願っていたのは、王朝とともに生きる人々の、地上での平安の永続ではなかったのか。

| エッセイ | 12:15 | - | -